昭和45年12月20日 報徳祭



 皆さん、おかげを頂きました。只今、親先生御祭主のもとに、あのように麗しい御祭を奉仕させて頂く事ができました。又、親先生の、体がお疲れの所を ほんとは挨拶だけよ、とおっしゃっておられましたけれども、あのよう色々とお話も頂きまして。お話を頂くと、話を聞いて助かると。いうふうな話でも、長々とお話を頂かなければならないという事ではない事がわかりますですね。皆さんも、只今の親先生のお話の中から、おかげを蒙られた事であろうとこう思います。
 大分の八坂先生の、御自身がお助かりになり、そして人が助かって行く。人が助かる事にまでなってきたというお話でございましたですね。その人が助かると、自分自身が助かるという事がです。なかなかご立派なご人格の方であったらしいですけれども。あのお話を頂いておりますと、三年間、教会を持たせて頂かれてから。三年間も一人も人が参ってこなかったという。その三年間の間に、先生が助かられたという事であります、ね。してみると、いかに艱難が汝を玉にするかという事がわかります、ね。
 ただ玉にするだけではなく、自分自身がそのようにして助かるという事がです、ね、人までも助かるという事になる。信心はそこからが違うと思う、ね。いわゆる只今申します艱難汝を玉にする。玉にしただけではだめですからね。自分だけが綺麗になっただけでは、自分だけが助かっただけでは。その自分の助かりがね、自分の助かりが周囲を潤す。周囲が助かってくるというような働きになってこなければなりません。
 信心によって三年間、どのような風に助かられたかという事を、先生のあの、短いお話の中から、感じ取らせて頂きましたですね。例えば、人を責めないという事だけだってたいした事ですね。人を責めないですむという所に、もうその人が助かっております、ね。我情を言わない我欲を言わない。ね。いわば信心の要諦ともいわれるその何ヶ条のものをです、御自身の物になさった。それは、三年間の御修行が、先生をそのように いわば難儀が育てたという事になりましょう。
 今朝からの御理解の中にも、御理解99節、無学で人が助からんという事はない。学問があっても 真がなからなければ人は助からん。学が身を食うという事がある。此方は無学でも人が助かっておるという意味の御理解でございましたね、99節。ですから、あの御教えを、今日私頂かせて頂きまして、只今親先生のお話をあわせ頂きましてね、そうだなと思います。ね、
 そこで、やはり自分自身が助からなければならない。ね、しかもそれは、神様の御蔭で助からなければならない。ただ、難儀のおかげで自分が玉になったというだけではだめ。神様の御蔭で助からせてもらう所から、我情を言わんですみ、我欲を言わんですみ、人を責めんですむというほどしの 助かりがある。そこで私は思うのですけれどもね。人が助かるという事、ね、それにはまず私自身が助からなければならないという事。
 なら助かるという事はどういう事であろうか。まあ一番でいえば、今日親先生がおっしゃった、八坂先生が、ね、三年間のご修行御御苦労(ごごくろう)の中から自分というものをいよいよむなしゅうしておいでられたという事なのであります。ね、私は今朝から皆さんに聞いて頂いたんです。人が助かるという事はね、丁度眠っておる時の様なものではなかろうかとこう。
 今日も一日様々な事に出会って苦しかった。ね。なかなか、生活していくという事は容易な事ではない。経済の問題がある。人間関係の苦労がある。また中には病気で苦しんでおるという人もある。ほんとに苦しい一日であったけれども、やれやれ床に就かせて頂きまして、安眠の御蔭を頂かしてもらうと、もうあとは極楽である。ね、ただ、夢路を辿らせて頂くだけである。私は、そういう、私は、姿と いうものがね、人間が助かった時の姿だとこう。ね、
 ところが目が覚める。途端に地獄の苦しみ。ああ、又起きらんならん。又今日あの仕事をせんならん。又ああいう奴と会わなきゃならない。又ああいう難儀な問題に取り組まなければならない事がです。ね、もう目が覚めた時からその難儀が始まっておる。そこで、いわば、眠るという事、ね。眠っておる時こそが人が助かっておる 時の姿であると。そいでもやはりね、特別 悪人というような人達はね、それこそ眠ったまでも、間も助からないという事です、ね。
 夢の中にでも、責め苛まれるという事です、ね。ですけれども殆どの人は、やはり眠らせて頂いておる時が一番極楽である。痛いも痒いも、暑いも寒いもない。ね、いわゆる安楽往生しとるようなものである。いわゆる極楽。ところが、ね、目が覚めたら途端に、苦しい事になるという事になったらです、ね。これは人間の助かりという事にはならない、ね。信心は私は、私共が生きて活動させて頂く事の中に、ね、助かりを求める。助かりを、を追求して いく事だと、ね。
 目が覚める。私も、もう夕べは、一時半でした。休まして頂くの。もう、疲れ果てておった。なかなかま、休ませて頂い(た)。けれども私は、床の上で御祈念を必ずさせてもらう。今日はもうくたくたに神様疲れました。けれどもどうぞ、今から休まして頂く時間は、まあ、正味二時間。どうぞその二時間の間にですね、生気を取り戻さして下さい。どうぞ、清々しい有り難い目覚ましのおかげを頂かせてください。もう真剣に願います。有り難いね、信心ちゃ。ね、そういう時にそういう無茶な事が願えれるんだ。
 そしてその願いをです、神様が喜んで聞いてくださるんだ。無茶言うなと、二時間でどうしてお前清々しい目覚ましが出来るかとおっしゃらん。もう二時間休ませて頂いて、目覚ましのおかげを頂いた時にはもうほんとに、五時間も六時間も休まして頂いとったような、有り難い清々しい目覚ましのおかげを頂く。三時半にはやっぱり控えに出らして頂いた。四時からの御祈念をさして頂いた。その一時間の間の事がもう、実は今日の報徳祭の事すらお願いしなかった。
 ただ有り難うして有り難うして、ね。そして、御結界につかせて頂いてやはり三十分間只今申しておりますようなお話を、99節に基づいて、皆さんにもお話を聞いて頂いた。そこに私の助かりがある。そこに私が助かっておるという事がいえる。その簡単に、ね。昨夜寝とる間も助かった。目覚ましのおかげを、夕べお願いをしておった。それを神様が聞いて下さったという事が有り難い。
 金光様の御信心はね、そういう 普通でいうならば不思議なほどしのおかげが受けられるのが信心なんだ。それを お互いがね、そげなこつ、そげな訳にはいかん、と自分で割引してしまう。ね。報徳祭、春秋の大祭、夏の祈願祭、ね。まあ、夏の祈願祭やら四神さ、この報徳祭やらは、まあいうならば準大祭のようなもの。だから、そのくらいながたとこういう事  を思えばやっぱそれだけのがたである。昨日もね、そこの廊下に米が12,3俵しか積んじゃなかった、ね。
 ははぁ今度の、こちらの信心のね、勿論不行き届きの事ですけれども。そしてから私は裏へさがらして頂いてから、表に出たときにゃ、もうあの二十何、二十七俵ですか。もうほんとにたまがってしまう。いわばこの前の大祭の時とあんまり変わらないでしょう。んなら、お供えだって、一つも春秋の大祭に遜色なかったですね。今日は雨が降るからお客さんが少なかろうというて、ちゃんと決めてしまってる。今農繁期だから、お客さんはないと、田舎の町の商人はそう思う。だから、そういう思いを捨てろと私は。
 なかなかそういう思いがこれでも、先生はそげんいいなさるばってん捨てられないて。そこでです私共がね、我情を捨てる事に、我欲を捨てる事に専念させて頂くと、そういう今まで、当然思わねばならないような事までも一緒に、捨てていってしまっておる事に私は気が付く。だからこは雨が降ろうが農繁期であろうが農閑期であろうが、ここの御届け帳をご覧なさるとわかる。やっぱり私が三百と頂いたら三百。四百というたら、四百のお届けがちゃんとまい、あっとる。これは、降っても照ってもそうである。
 ですから皆さん、矢張りそうそれをね、そうと信じれれるおかげを頂かなければね、おかげにならん。報徳祭じゃけんこん位でよかろうじゃでけん。ね。勿論皆さんもご承知のように、報徳祭というのは、昔は二代金光様、四神様のお祭りと申し上げておった。九州の桂先生が、ね、小倉の桂先生が、二代金光様の御神命を頂いて小倉の地においでられた。今の安武先生のお話じゃないけれども、それこそ大変な事であった。
 桂、九州には死にに行くのぞと。倉の土になれ、という四神様のはなむけの言葉を受けられて九州に来られた。当時は九州の町という、あの小倉の町というのは一漁村にすぎなかった当時は。それ、桂先生、四神様に「金光様、あの小倉という所は、寂しい漁師町でございます。」というてその申し上げたときに、四神様が「その漁師町を、ね、大繁盛の町にするのぞ。」と仰った。
 「小倉には、福の神をお供するのぞ」と仰った。ね、桂先生御自身には、ね、九州の小倉には生神様が出来なさったげなと、噂されるほどしのおかげを受けよとも仰った。そういう四神様の祈り願いを受けられて、九州の地においさがって見えられたけれども、それこそ、金光様のこの字も知らない人ばっかりの所での、布教でございますから、あれはなかなか大変な事であった。
 あのような矢張り剛の信心をなさっておられる先生でも、もう最後には引き上げなければ、もう出来ないという所までおいでられた。ね、そこを四神様のお励ましを受けられて、ようやく小倉の地に道が開けるようになり、次々と人が助かられ、沢山のお弟子が出来られて、九州の各地に教会が生まれた。そういう例えば流れをくんで、いわば取次ぎを(聞いて聞いての?) まにまに合楽教会があるのでございます。
 桂先生が四神様は、ね、九州の大恩人ぞと、いわゆる二代の生神として頂かれた。ですから、四神様が亡くなられた時の御心霊は、九州おいでられたという、言われております。そのように、いわば縁の深い、いや大恩人でおありになる四神様の御大祭を御仕えになるという事が、それはもう一生懸命のものでおありになった、であろうと想像される。お供え物 万端準備をですね、いわゆる九州の方でなさった。
 そしてあちらの先生方にお頼みになられてから、いわゆる四神様の御徳にたたえまつらせてもらうというお大祭に始まるのが報徳祭。ですからその時分四神様の御祭りといや、九州から団体が出ていた。ところが今どうでしょう。この頃の報徳祭にお参りさして頂いたが、沢山の教会から一人も参ってないという所もある。合楽、合楽はいつもんことでしたけれど、三十四、五名でしたか。まあ、け?????あいすまん。
 ほんとにおかげを頂かして合楽だけででも、一列車ぐらいお参り出来る様なおかげを頂きたいなと念願。そういう願いをもって、そういう願いが込められての御祭りが、その御ヒレイを頂いて今日の御祭りが奉仕された。その先生の御信心を受けられて、福岡が?????、吉木先生が福岡の中に。そして久留米が石橋先生が久留米に。そして又そのお弟子である所の荒巻弓次郎先生が、善導寺、三井教会に布教になられた。
 それはもうそれこそ、くちふぜいに現す事の出来ないほどの御修行、ね、ところどころ、たとえば福岡辺りはもう徹底ばかとあほうで道を開けと、四神様が教えられたその事に専念され、いわるそれを福岡の教会の守りのようにして道を開かれたという事である。久留米の初代は、四神様から信心辛抱ぞと、石橋さん信心辛抱さえしとれ、物事整わん事ないわと、と御教えを頂かれて、いわる信心辛抱のいわば、信心があのようにして大御比礼につながっていく。
 三井教会の初代もそうです。垢離を積ますな垢離を積むな身を慎め。垢離を積まんと言う事だけでも大変な事である。ね、とにかく人を責める事もなからなければ、悪く思う事もない。垢離を積まんという事。ね、その事でも大変な事である。そう言う例えばおかげを先生方が受けられて、そしてこうしてその信心を残しておって下さった。そこで私共がね、その先生方の御信心をです、いかに拝んで受けさせて貰うか、いかに自分の信心の血に肉にするかという所に、今日の報徳祭の意義がある、と私は思うです。
 いかに賑々しゅうお祭をさして頂いたからというて、果して言わば四神様や三代金光様がお喜びになるだろうか。初代先覚の先生方がそれだけでお喜びになるだろうか。先生方の残された信心を私の信心の血に肉にさせて頂いて、おかげを頂いて馬鹿と阿呆になれる事が出来る。この世の中にあっても信心辛抱しぬかせて頂けれる。この世の中にあっても、垢離を積まんですむ私になれたという。
 そういう私ゃ生活が信心生活がでける、でける様になりましたという、このお礼のお祭徳に報いる所の御祭りになってこそ、初めて報徳祭の意義があると思う、ね。桂先生がね、九州に道を開かれるのが、四神様の御言葉によってでありましたように、私もとにかく金光様の先生なんて、夢思わなかった。どうでも一つ福岡の地に、まあ商人として生まれとりますから、商人として御用をさして頂きたい。
 そして大きな御用もさして頂くようなおかげ頂きたいと、念願させて頂いての信心であったのですけれども、ね、所謂右と願えば左、左と願えば右、さっきの八坂先生の御修行の話じゃないですけれども、ね。そこで親先生もあまりの事に、ね、ある御本部参拝を親先生のお供さして頂いたときに三代金光様にお伺いになった。大坪総一郎の今後の身の振り方について、金光様にお伺いなったら言下に金光様の仰った事は、ね。
 御道の教師として、おかげを受けられたら結構ですという言葉であった。ね、もうそれこそびっくりするような事であった。けれどもその時に私の腹は決まった。それから二十年近く、ね、様々な事がありましたけれども、その金光様の御一言がね、私の信心を支えた。おかげで御道の教師としてのお許しを頂いた。教会の認可も頂いた。それが期せずして、ここの御造営が出来たそれと同じ年であり。
 丁度ここのいわば教会長として、初代教会長として、おかげを頂けれるような、いわば巡り合わせというのがまっておった。そしてそこで十何年間の苦労の事思うてみて、ははぁ、これも御神意であったなぁ、神様の御都合であったな、いやこういうおかげを下さろうとする神様の御神意であったなという事がわかった。ですから、ね、桂先生が四神様を九州の大恩人と仰せられるなら、ね、私は三代生神金光大神様が、ね、合楽の大恩人でおありになるという事なのであります。 
 その、大恩人の金光様御二方の御祭りですもの、どうしておろそかにでけるものですか。おかげを頂い、もう、思えば思うほどおかげを頂いた。いつのまにか、そういう一念を燃やさして頂いておる内に、ね、三代金光様の御言葉ではないですけれども、初めのあいだはつろうてつろうてよう泣きました。けれども、思う事もなくなり、ほしい物もなくなったと、御述懐なっとられます。
 私共もそう言う事を願い、とも思っていなかったけれども、ね、信心は長いですけれども、いわばほん本気で信心をさして頂く様になったというのは、終戦此の方である。様々苦労様々な修行をさせて頂く内にです、確かに思う事もなくなって来た欲しい物もなくなって来た。そし、有り難うて有り難うてと、金光様御述懐なっておられるが、私も時たまではあるけれども有り難うて有り難う……いう事になっ…。ね、
 そしたら人が助かるよ……。私自身がです、ね、思う事もなくなり言わば欲しい物も段々無くなって来る所に私の助かりがある。その助かりにです人も矢張り潤い人も又助かってゆくというおかげになっていった。そういう有り難いおかげを頂いておる、と金光様は仰られ、その御礼の足りないお詫びばかりをしとおりますと最後に仰った。それ程しの御神徳それ程しの御大徳をお受けになられて尚且つ、まだお詫びばかりを致しておりますと。私共の信心がです、ね、どの様な事になって、育っておるであろうかね。
 最近は願う天赦願。神様に許されておる願い。または一心の真をささげての願いになろうと。今月は愈々御礼の為に精進さして頂こう。と言う様な信心の言わば合楽の信心のスローガンに基いて、お互い信心の稽古をさせて頂いておるんですけれども、中々はかばかしい事はないですけれど、お互いが例えばここで分からして頂かなければならん事は、合楽に御縁を頂いて、成程思う事もなくなり、欲しい物もなくなるとまではいかんにしても、思う事の煩わしさ、欲しいと思う汚い心に取り組んで。
 お互い信心の稽古さして頂いておるという事はありがたい事だと思う。自分を空しゅうする。いわゆる眠ってる時とおんなじような状態にしていく。それをここでは親先生にお伺いをしてからという。これは自分の思いというものを捨てておる姿なのである。先生が右とおっしゃりゃえいが、先生が右とおっしゃりゃよいがと思うとらん。親先生が右とおっしゃりゃもう右に決める。左とおっしゃりゃ左のほうを頂く。ね、
 そういう私は信心のけ、そういう生き方こそです、私という者を無くしておる。いわば死んだもどうじょう、同然。いうなら眠っておるときとおんなじ。そういうおかげを、皆さんは受けておられると思うのです。そういう例えば生き方が出来るように段々なってきたという事。御神意のまにまに生活をさして頂くわけ。だから、御神意を伺うという事がね、自分が儲かり方が、儲かる事のために御神意を伺う。
 自分に便利んよかごとなる事のために御神意を伺う、というたらこりゃもう大変だから違いになってくる。ね、御神意を頂いて右にとおっしゃ、右になる事が、たとえばそれが、損になっても、困った事になっても、ね、そこん所を有り難く受けさせて頂けれる所の、信心を私どもは一生懸命稽古しておる訳です。いうならば、自分を空しゅうする事。お互いが、ね、眠っておる間が助かっておる時だと。
 というて、それだけでは信心による助かりとは言えないから、目が覚めてからの有難さ、目が覚めてからの 尊い生き方というものをです、私どもはそのようにして身に付けていっておる訳であります。いよいよ、今年も余す所あと十日。それこそ、来年こそはという思いを皆さんもなさっておられる事であろう。私はその来年こそはというのをです、いよいよ、大きなおかげを頂くという事。
 来年こそは一つ大きなおかげを頂こう。という信心にならせて頂かな。しかもその大きなおかげを願わして貰えれるという信心。大きなおかげを受けなければならない。問題がいくつもある。御本部の御造営もさることながら、合楽でも丸少会館が、建設されようという、いわれよる話が出来ておる。ですからおかげを頂かなければ出来ん。お役に使こうてもらう。世のお役に立ちたいというても、力なしにはお役に立てません。
 そこでね私共がいよいよ大きなおかげを頂く為には、過去私共が25年又はある方は10年、5年という人もありましょう。3年の人もありましょう。そこで過去頂いてまいりました信心をもう一辺私どもの信心の上に、その頂いてきた信心がどのようになっておるかを検討して、いわゆる咀嚼しなおさなければいけない、いっぺん噛み直さなければいけない。私ゃ大きいといや、天地ほど大きいものはないと思う。
 間違いがないといや、日月ほど間違いのないものはないと。ですから、大きなおかげを頂きたい、大きなおかげを頂きたいというても、ね、ただ我情我欲が大きなおかげを頂きたいというだけでは、神様が下さってもそれは、受け止める事は出来ない。ね、そこで私どもが大きなおかげを願わして頂く為に、天地のような心をもって私どもがおかげを頂かなければならない、ね。
 天真地心、天の真、地の心といったような御理解を(いっぺ?)頂いてまいりました。又は天念地念、ね、天念自然、天念自然、ね、地念とは地にひれ伏して念ずる。天地の心を心としての生き方。ね、とてつもないようですけれども、実際自分の手元のところで、ええ、ああ、これが天地の心であろうかという事は、そう大した事じゃありませんよ、ね。天は、もう限りなく綺麗なもの。
 もう恵んで恵んで、条件無しに与えきっておるもの。だから、いよいよ私共が限りなく美しゅうならせて頂くという事に 焦点を置かなきゃならん。大地(たいち)の心といえばそれこそ、黙って受けて受けて受けぬかせて頂くというもの。受けぬかせて頂くだけではない、それを又おくるもの、ね。先日からある先生の御話で頂いた。仏教でいう、いわば慈悲、キリスト教でいう愛という、その本質というか、ね。
 そのぎりぎりのものはどういう事かというと、人を責めないという事だと いう事であります。そこで私は仏教で慈悲を慈悲といい、ね。キリスト教でいわば愛というならば、御道の信心では何というであろうか。私は神心だと思う。金光様の御信心は神心なのだ。ですから責めない、だけではない、ね。そこをそれこそ大地(たいち)のように、ね、受けて受けて受け抜くだけではなくて、それを又与えていくという事。
 もういうこときかん奴は仕方がないではなくて、それを祈っていくという事。責めないだけではない、その人のことを願うて行くというような心。それを私ゃ神心だと思う。大きいでしょ、金光様の御信心は。もう愛も慈悲もね、その神心の中にあるのですよ。ね、ですから私共がです、天の心を心として、地の心を心としてというような、そういう、たとえばおお、天地といや大きな事ですけれども、それを自分の手元の所でです、それを頂いていくという受け方。
 限りなく美しゅうならせて頂こう。成り行きを大事にさせて頂こうというのはそれなんです。限りなく美しゅうならせて天の心、成り行きを大事にしていこうというのは、言わば大地の心である。そう言う言わば寛大な、広大無辺の言わばおかげにつながる事のできれる心が、天地の心を心としていく生き方。それに専念していいのです、お互い信心させて頂く者が。そこん所に焦点を置いて稽古させて頂いてよいのです。
 いや、でなからなければいけんのです。そして、間違いがないというたら、天地ほど間違いのない、いわば、実意の、おお、まあ、という言葉を使うなら、ね。日月ほど実意なものはなかろう。一分一厘の間違いのない、その日月の働きというものをです、私共の心の上に頂いていく。それを教祖は実意丁寧神信心と仰せられるね。日月、正確無比。ね、そういう日月の心を私共の日常信心生活の上に現していく。ね。
 実意の限りを生活の上に現していこう。先日ある学生の方が、もう明日明後日から試験が始まるというのに、いっつも気分が散漫で、どうも机に向かう気持ちがいたしません。どうぞ、心の上に神様にお繰り合わせをお願いして下さい。ので私が申しました。と、先月の信心の焦点をどういう事だったかね。一心の真をささげて願うと言うことである。その一心の真をささげて願ごうただろう。願いました。
 もうそれこそ僕はもうほんとに、こういう修行もこういう修行もさせて頂いて、幹三郎君の事を願いましたという。百のものなら九十九(くじゅうく)はもう助からんといわれた時、それを聞いた時に、ほんとに神様がござるなら一つもう、僕の信心修行ででも助けてもらいたいちゅうごたる、その熱願を持った、その学生。ね、毎日参って来た。毎日その事を願うた。ね、先月の信心は一心の真をささげて願うだったね。
 そうだ。ところが、なら、結果はどうなったか。それこそ、お医者さんがたまがられるほどしのおかげを頂いて、退院のおかげという事になられました。そうだ、退院のおかげになった。そんならどげな…………?かね、今月は御礼の真、いわば御礼のために精進させて頂こうというのが、今月の此処の信心のスローガンなんだ。あのようにして、一生懸命に幹三郎君の命を、命乞いをさして頂いたというあの、願いを神様が聞き届けて下さったんじゃないか。だからこれをどのようにしてお礼を申し上げるか。
 勉強がしたくない机に向かいたくない時には、これが神様へのお礼の印だお礼の精進だと思うて、机の前に出なさい勉強します。もう先生もうほんとにや、もうほんなこつ先生の言葉は忘れましたけどね。はぁ先生、もうそげな手があったちゆうな風な意味のことを申しました。お互いが日常生活の中に 実意を、実意をね、もうこんくらいのこたよかたい、もう やあやあちいう時がある、ね。
 けれどもね、これは御礼の ための精進だと思わして頂いたら、そこん所が実意を持ってでける。おかげで勉強も一生懸命、いわばでけた。おかげで試験も済んだ。おかげでいつもよりも成績のおかげを頂いたと、御礼のお届けをしとります。だから、そういうたとえば生き方が、ね、御礼の真をささげるという事がです。ね。学生がたとえば本分であるところのです、ね、勉強に、机に向かいたくないという事はもうこれは致命的なものだ。心があせっても心がいうことをきかん。
 そこん所を御礼の真をささげ、おかげを受けておる事の、その事を思うたら、これがおれいの印になるんだ。おれいの為の精進になるんだと わからしていただく所から、でけない事がでけるようになり、そこに、心の上のお繰り合わせを頂いておる。いわゆる 学生の事ですから、勉強始めたら又こんだ、??それが楽しゅうなってきた。調子が出てきたね。そういう私は生き方こそが。
 日月の心にならして頂くための稽古であると思うのです。自分の、いわば職場、又は立場においてです、そういう実意の限りを尽くさして頂こうと思うけれど、尽くせない時にです、そう思うてみればいい。お礼のための精進だと、これから先お礼の為の精進だと思うたら、もうここで辛抱が出来ないという所又、30分1時間又辛抱が出来るだろう。そういう生き方を私は実意丁寧な生き方だとこう思うのです。
 日月の心なんだ私は思う。大きな願いばっかりさせて頂いて、そして天地のようなんなら限りなく美しゅうならせて頂こう、又は限りなく受けて受けて受けぬかせて頂いて行こうというだけではいけん。お互いの信心がです、それこそ日月のように正確な 信心がなされていかなければいけないという事。お日参りと決めたらお日参りを、ほんとにお日参りをさせて頂くという事。これという事になったら、もうほんとに。
 ところがそこは、なかなか人間の悪いとこでございますから、ね。出来ないところもございます。私が4時の御祈念に出らして頂きます前に、御神飯が、お供えがあります。御用頂いておるものが二時半から起きて御神飯の御用をいたします。これがもうそれこそ十年一日のごとく続けられておる。ね、ところがね、やはり年に一回ぐらいはそれが、その、出来ない事がある。
 はりゃもう???????からね、かまつけとるばってんもうぶつぶつ、????いっとらん。だから、そげなもんお供えしたっちゃ、??、いかん、ね。先日もそういう事がございました。だから、その御用を頂いておる者も、今日は一日、神様に断食をさせるのだから、私も断食させて頂くという。んなら、あたしも断食さして頂く、ね。出来なかった事は、いわばあんたの事だけではない、私の信心のやはり、やはりミスがあったからこそ、そのミスがでけた。
 例えばもう4時5分お供えしたっちゃもうだめなんですよ。ね、私ゃ信心正確無比というのは、そういう事だと思うんです。ね、よかよかもうあとから又ほっこらぁっとしたと炊き直してからお供えすりゃじゃいかん。こりゃまあ、私の信心なんですよ皆さん。ね、ですからもし人間だから、そのような事がありますけれどもです、そこをお詫びの印に。そりゃ今から、今の金光教の信心からいうたらです、断食するなんてんおかしいごたる。そげな修行おかしいごたる。
 けれどもね、そうさせて頂く所から、許されたという心が頂ける。そこん所の心が頂けなからばまえな進まれない。そういう、私は生き方を体得していく事がです、日月の心になる事肝要とおっしゃる、日月の心。日月の信心であると私は信じさしてもらう。ね、ですから、こりゃぁま、私どもが、何十年間言い続けてきたことなのですけれども、それをもういっぺん、今年あとまあ残っとる十日間の間にです。
 天地日月の心になる事肝要なりと仰せられる、そういう信心を頂いて、大きいといや天地ほど大きいものはなかろう、ね、その信心が出来てこそ初めて、大きな願いがかけられると私ゃ思う。大きな願いがされると思う。ね、そこに、神様が聞いてくださる、聞いて下さらん事はないという確信をもった、信心生活が出来てくるようになると思うのです、ね。来年はおそらく、まだよくを頂いてはおりませんけれど、ね、大きなおかげを頂こうという事になろうと思うのです。為には、今私が申します、ね、
 その前提として、天地日月の心になる事肝要なり。天地の心を私の心として、日月の生き方を、ね、私の、信心生活の上にです、実意丁寧を、を尽くさして頂こう。そこで、その実意丁寧がなかなか出来ませんけれどもね、只今、学生に私がお届けさして頂いたような、一つの生き方を工夫をさしてもらわなければいけません。ね、御神飯の事もこれ、私の一つの工夫なのである。そこに、私は、ね、正確無比の信心とは、とは、まあ、縁の遠い事かもしれません、神様の目から御覧になれば。
 けれども、そういう信心を本気で目指すという、そういう姿勢を作る事が、私、金光様の御信心に、者に必要ではなかろうか。女は世界の田地と仰せられるが、私、御道の信奉者の全部が、世界の田地になる、であるという自覚に立たなければいけない。ね、そして、尊いものがこれから生みなされていかなければいけない。それを示していく事が、世のお役に立つ事だ???。こういう生き方で行けば、このような、問題が問題でなくなってくる。こういうおかげも受けられる。助からんという者も助かる。
 そういう素晴らしい信心を身に付けていっておる者を、これを人に伝えておかなけ、いかなければ相済まん、ね。今年(こんねん)の初めからいうておるように、もうこの70年という時代はもう、和賀心時代の第一歩だと。世界中の人間が、みんなこの和賀心を求めての生き方が出来るようになったならば、天地日月の心を自分たちの生き方の、一つの基本とさして頂くほどしの生き方になったならば。
 いやそれを分かっただけでも、世界は平和になると私は思うです。大きな事を言う様ですけれども、ね、それが千年も万年もそりゃ先になるか解らんにしましても、先ず私の心の中から私の周辺から。ね、私が本当に助かっておる姿を、その次の人にも伝えていく所のおかげを頂く。為にはおかげを産みなしていかなければいけません。
 大きなことを言うようですけれども、それが千年も万年も先になるか分からんにしましても、まず私の心の中から私の周辺から、私が本当に助かっておる姿をです、その次の人にも伝えていくところのおかげを頂く、ためにはおかげを生みなしていかなければいけません。ためには私どもが世界の田地であるという自覚に立たなければなりません。そこにね天地乃親神様の願いがあり。
 教祖金光大神の願いがあり、その願いを受けて受けぬかれたいわば四神様、そして三代様そして私どもの先輩であるところの、ね、先ほどから申しましたような小倉、福岡、久留米、又は三井というようにです、継ぎ手継ぎ手の信心がそのような、内容をもった信心が、ね、それを例えば馬鹿と阿呆で道を開くとか、信心辛抱とか、ね、こと神様のことなら前に進んでも後には引かんという桂先生のご精神とか、ね、
 こりを積むな、こりを積ますな、身を慎めと仰る様な、荒巻先生の御信心というようなものがです、今日私が、例えば後半に申しました所の中に、そういう教えの全てが、含まれておると私は思うのでございます。そして、どうでも成程神様じゃな、なるほど金光様の信心しござったから違うなというようなです、大きなおかげを頂かしてもろうて、愈々世のお役に立たせて頂く信心に進まなければならんと思うのでございます。
   どうぞ。